竹脇無我の青年期は、美貌の裏に深いトラウマと経済的重責を抱えたものでした。父親は、NHKの看板アナウンサーとして一世を風靡した竹脇昌春氏です。
しかし、昌春氏は過度のプレッシャーからノイローゼを患い、竹脇がわずか15歳(中学3年生)の時に自死を遂げます。長男を事故で亡くし、次男も闘病中だった竹脇家において、三男の無我は母と家庭を支えるため、16歳で松竹映画『駅前旅館』などに出演し、芸能界へと飛び込まざるを得ませんでした。
「家族を養うために自分が稼がなければならない」という若き日の強迫観念は、彼の類まれな美貌と相まって瞬く間にスターダムへと押し上げた一方、内面には常に孤独と緊張を強いることになりました。
私生活では1970年に元デザイナーの女性と結婚し、2人の娘に恵まれました。しかし、長年にわたるうつ病闘病や精神的すれ違いが重なり、約28年間の婚姻生活を経て1998年に離婚を選択。晩年は一人暮らしを送りながらも、独立した娘たちとは良好な関係を保ち、孫の誕生を喜ぶなど穏やかな家族の絆を取り戻していました。