湯川れい子が世に出たきっかけは、ジャズ専門誌『スイングジャーナル』への熱烈な読者投稿でした。その卓越した審美眼が編集部の目に留まり、日本初の女性ポピュラー音楽評論家としてキャリアをスタートさせます。当時は男性社会だった音楽ジャーナリズム界において、現場主義を徹底する彼女のスタンスは異彩を放っていました。
なかでも伝説的なエピソードが、エルヴィス・プレスリーとの交流と、1966年のザ・ビートルズ来日時の独占単独取材です。ヒルトン東京(現キャピトル東急ホテル)の客室で、ジョン・レノンやポール・マッカートニーと膝を突き合わせて語り合った経験を持つ数少ない日本人ジャーナリストとして、世界基準のロックカルチャーを日本に翻訳・紹介し続けました。
この若き日の現場体験が、単なる評論にとどまらず、のちに聴き手の心を直接揺さぶる「作詞家」としての資質を開花させる土台となったのです。