前野曜子の晩年を知る関係者たちは、一様に彼女の「脆さ」と「純粋さ」を口にします。スタジオ関係者が過去の特番や回顧録で明かした証言によると、1980年代初頭の『スペースコブラ』のレコーディング当時、すでに彼女の体調は万全ではありませんでした。
「スタジオに入ってくる際、足元がおぼつかない日があった。しかし、ひとたびマイクの前に立ち伴奏が鳴り響くと、信じられないほどの集中力と艶やかな声でテイクを一発で決めてみせた。あのプロ根性と凄みには鳥肌が立ったが、同時に今にも折れてしまいそうな危うさを誰もが感じていた」と、当時の現場スタッフは述懐しています。あのアニメ史に残る名唱「コブラ」の圧倒的なグルーヴと色気は、文字通り彼女が命を削りながら絞り出した輝きだったのです。
また、当時のライブを目撃していた古参ファンのコミュニティや掲示板では、80年代半ばのステージでの異変が語られています。「かつての伸びやかな高音が出にくくなり、途中で何度も水を口に含んでいた」「MCの声がかすれており、酷く痩せて見えた」といった痛々しい証言が残されています。それでもステージに立ち続けようとした彼女でしたが、80年代半ばを過ぎるとついにドクターストップがかかり、音楽活動の完全休止を余儀なくされました。人前で歌うことこそが唯一の生きる意味であった彼女にとって、歌を奪われた闘病生活がどれほど過酷で孤独なものであったかは想像に難くありません。