近代俳句の巨頭・高浜虚子は、俳句の本質として「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」を提唱しました。これは「天地のあらゆる自然現象(花鳥)を、ありのままに素直に詠み込む(諷詠)」という創作態度です。主観的な思想や政治的主張を声高に叫ぶのではなく、四季の営みを客観的にスケッチ(客観写生)することによって、人間存在の根源的な喜びや哀感を表現しようとしました。
また、前述した室町時代の世阿弥は、能の神髄を説く中で「まことの花(時分の花ではなく、修練と老境によって得られる永続的な魅力)」を重視しました。移ろいゆく自然現象をただ受動的に眺めるのではなく、自然が持つ変化のダイナミズムを自らの身体表現に宿らせることこそが、花鳥風月の真骨頂であると説いたのです。
日本文学研究においても、花鳥風月は単なる現実逃避の手段ではなく、「有限な生を生きる人間が、無限に循環する大自然の中に己を位置づけるための哲学的装置」として分析されています。