現在の壮麗な社殿がこの地に築かれた背景には、一人の武将の切実な祈りと奇跡の物語がある。江戸時代前期の寛文7年(1667年)、松山藩第3代藩主の松平定長は、将軍・徳川家綱から江戸・三十三間堂での弓矢の射礼を命じられた。弓の名手としての誇りと藩の威信を賭けた定長は、祖先の崇敬厚い伊佐爾波の神前に通い、必中を祈願した。
結果は見事に成功。定長はその神恩に深く感謝し、当時の京都随一の工匠を呼び寄せ、社殿を壮麗な八幡造へと大改修した。境内にはその祈願成就を裏付けるように、江戸時代の和算家たちが奉納した「伊佐爾波神社算額」が大切に遺されている。難解な幾何学問題を解いた証として神社に掲げられた算額は、全国的にも極めて貴重な文化遺産であり、当時の知の熱気を静かに語りかけてくる。