Q1:天草四郎の首は最終的にどこへ埋葬されたのですか?
A1:長崎で晒された後の首の正確な埋葬地は諸説ありますが、長崎市内の刑場付近や寺院に密かに葬られたとする説、あるいは天草の地に運ばれたとする伝承などがあります。幕府による徹底した処罰のため公の記録は残されていませんが、熊本や長崎の各所に供養碑(首塚・胴塚)が建立されています。
Q2:天草四郎が討ち取られた時の正確な年齢は何歳でしたか?
A2:一般的には数え年で16歳(満15〜16歳前後)とされています。元和7年(1621年)生まれ、あるいは元和9年(1623年)生まれとする説があり、いずれにしても10代半ばの若さで島原の乱の総大将を務めました。
Q3:なぜ幕府は首を原城だけでなく出島にまで運んで晒したのですか?
A3:出島前に晒すことで、ポルトガルやオランダをはじめとする海外諸国に対して「幕府のキリシタン禁制と統治体制の絶対性」を見せつける狙いがありました。また、長崎周辺の隠れキリシタンに対する再蜂起防止の心理的抑止力としても機能させました。