スマートフォンの画面の向こうには、無数の「検閲官」が潜んでいる。不用意な一言、贅沢な食事の写真、あるいは単なる愚痴。それらがいつ、どこで誰の逆鱗に触れるか分からない。
かつて「世間」とは、近所の人々や親戚といった顔の見える範囲を指していた。しかし現代の世間は、顔も名前も知らない数百万人のネットユーザーだ。彼らは時に、正義の味方となって他人の落ち度を糾弾する。この「キャンセルカルチャー」の恐怖が、人々の言動を萎縮させているのは間違いない。
発言を控え、目立たないように振る舞う。波風を立てないことが最優先される社会では、新しいアイデアや挑戦は生まれにくい。私たちは自ら進んで、窮屈な箱の中に入り込んでいるのではないか。