赤松良子氏の最大の功績として語り継がれるのが、1985年に成立し翌1986年に施行された「男女雇用機会均等法」の制定です。当時、日本は国連の「女子差別撤廃条約」への批准を迫られていましたが、国内法の整備は遅々として進んでいませんでした。
法案成立までの道のりは険しいものでした。労働界は「差別の即時全面禁止と罰則」を求め、財界・経営者側は「企業の競争力を損なう」と猛反発するなど、議論は激しく対立しました。この局面で婦人少年局長として舵取りを担ったのが赤松氏です。
赤松氏は「まずは制度として最初の一歩を踏み出すこと(足がかりを作ること)が最優先である」と判断し、罰則規定を見送る現実的な妥協案をまとめ上げました。当時は一部から「骨抜き」「実効性に欠ける」との批判も浴びましたが、法制度という確固たる土台を作ったことで、その後の法改正や女性の総合職採用への道が大きく開かれました。この卓越した政治的リアリズムと実行力こそが、彼女が「均等法の母」と呼ばれる決定的な理由です。