大島渚は1932年、京都市に生まれました。京都大学法学部に進学し、京都府学連委員長として激しい学生運動を指導した経歴を持ちます。この青年期の政治的闘争経験と敗北感が、終生にわたる映画製作の強烈な原動力となりました。
1954年に松竹大船撮影所へ入社後、わずか5年で『愛と希望の街』(1959年)で監督デビューを果たします。翌1960年には『青春残酷物語』『太陽の墓場』『日本の夜と霧』を立て続けに発表。フランスのヌーヴェルヴァーグになぞらえて「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれ、篠田正浩や吉田喜重らとともに戦後日本映画の新しい潮流を牽引しました。
松竹退社後は独立プロダクション「創造社」を旗揚げし、『白昼の通り魔』(1966年)、『絞死刑』(1968年)、『少年』(1969年)、『儀式』(1971年)など、社会の周縁に置かれた在日朝鮮人問題、少年犯罪、前近代的な家制度の病理を暴く問題作を次々と連打。1978年には『愛の亡霊』で第31回カンヌ国際映画祭 監督賞を受賞し、黒澤明に続く世界的巨匠としての地位を確立しました。