1987年初頭、石原裕次郎の身体は病魔に蝕まれ、立っていることすら容易ではない状態にあった。しかし、彼はマイクの前に立つことを諦めなかった。石原プロモーションのスタッフが息をのんで見守る中、ハワイでの静養から帰国した裕次郎は都内のスタジオへと向かった。そこには妥協を許さないプロフェッショナルの執念があった。
身体の激痛を押し殺し、座ることなく一本のマイクに向かい続けた。息を吸い込むたびに走る激痛を押さえ、声を張る裕次郎の姿に、周囲のスタッフは涙を禁じ得なかったという。残された時間が僅かであることを悟りながらも、声の伸び、息遣い、語尾の消え際に至るまで、自らの生き様を完璧に刻み込もうとした渾身のテイクがそこにあった。