寺の起源は神亀二年(725年)、聖武天皇の勅願によって高僧・行基が堂宇を建立したことに始まる。その後、平安時代末期に近衛天皇の勅願寺として再興され、久安四年に現在の寺名へと改められた。宗派は高野山真言宗に属し、古くから北摂地域における密教信仰の重要な拠点として尊崇を集めてきた経緯を持つ。
中世の戦乱によって多くの伽藍が焼失の憂き目に遭うものの、この地をこよなく愛したのが天下人・豊臣秀吉だった。秀吉は有馬温泉へと向かう途上に幾度となく立ち寄り、月見の宴や茶会を催したと伝えられている。秀吉自らが寄進したとされる月見亭の遺構や、寺の復興に尽力した武将たちの痕跡は、今も境内の随所に静かに息づいている。