終戦直後の混乱期から名優として名を馳せるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。戦前から新劇の舞台に立ち、新協劇団を経て劇団民藝の創設に参加した彼は、徹底したリアリズム演劇の薫陶を受けた。今回新たに発掘された当時の舞台関係者の未公開日記には、彼が役に没頭するあまり日々の食事すら忘れて役作りに打ち込んでいた生々しい姿が記されている。
「彼はカメラの前に立つ前、何時間もじっと手元を見つめ、役の人生を体内に注入していた」。関係者の証言が示唆するように、徹底的な自己追い込みこそが、彼にしか出し得ない唯一無二の存在感を生み出す源泉であったのだ。私生活を誇示することなく、ただ表現者としての矜持を貫いた知られざる生涯がそこにある。