父である菅原文太は、深作欣二監督とタッグを組んだ『仁義なき戦い』シリーズで一躍時代の寵児となり、昭和極道映画および任侠映画の金字塔を打ち立てた。さらに『トラック野郎』シリーズで見せた痛快な一番星の姿は、日本中の人々に勇気と笑いを与えた。
スクリーンで豪快かつ非情な男たちを演じ切った菅原文太だったが、最愛の息子の死は彼の人生観を根底から揺るがした。薫氏の死後、一時期は俳優活動を大幅に制限し、表舞台から距離を置く選択をした。スクリーンの外で見せた父としての慟哭と哀切は、娯楽映画のスターという仮面の裏にあった人間味そのものだった。
後年、菅原文太が山梨県で有機農業を始め、環境問題や平和運動に傾倒していった背景には、若くして旅立った息子への思いや、命の尊厳に対する深い省察があったと言われている。銀幕のスターが辿りついた穏やかな境地の裏には、薫氏の記憶が常に存在していた。