長年「織田信長の専売特許」のように語られてきた楽市楽座ですが、文献史料の調査により日本で最初に楽市令を出したのは南近江の戦国大名・六角定頼(ろっかくさだより)であることが定説となっています。
六角定頼は天文18年(1549年)、自身の居城である観音寺城の城下町・石寺(現在の滋賀県近江八幡市周辺)に楽市令を敷きました。商人たちを城下に集住させ、経済的な求心力を高める手法は、定頼が先鞭をつけたものです。
また、駿河の今川氏真も永禄9年(1566年)に「富士大宮楽市」を実施し、領内の特定商人の独占を排して富士山本宮浅間大社の門前町を活性化させています。信長が美濃の加納で楽市令を出したのは永禄10年(1567年)であり、時期としては先行事例が存在していました。
ただし、信長の真骨頂は先行事例を単なる局所的な商業振興にとどめず、天下統一に向けた包括的な経済政策の柱へと昇華させた点にあります。局地的な実験にとどまっていた市場開放を、広域支配のインフラとして徹底活用したのが織田政権の卓越した手腕でした。