事件性の噂に終止符を打つ大きな契機となったのが、2011年に月刊誌『文藝春秋』で公開された直筆の遺書の存在でした。尾崎豊が普段愛用していた手帳のポケットと、死の直前に持っていたバッグの中から、合計2通の遺書が発見されていたのです。
遺書には、苦悩に満ちた内面の告白とともに、最愛の妻・繁美夫人と、当時まだ2歳だった息子の尾崎裕哉に対するあふれんばかりの愛情が綴られていました。
「先立つ僕を許してください」「さようなら、私は夢見ます」といった悲痛な文言とともに、家族へ感謝を告げる言葉が並んでいました。この遺書の公開により、彼が死の直前に極限の精神的孤独と闘い、自らの人生に幕を下ろす覚悟を抱いていたことが白日の下に晒され、他殺説の信憑性は事実上失われることとなりました。
父の背中を追うように成長した長男の尾崎裕哉は、シンガーソングライターとして本格的な音楽活動を展開し、父譲りの力強い歌声と自身のメッセージを発信し続けています。