近代哲学の基礎を築いたルネ・デカルトは、世界を「考える精神(思惟実体)」と「空間を占める物質(延長実体)」の2つに明確に切り分ける心身二元論を唱えました。この構図において、人間の身体は精神の指令を受けて動く「時計仕掛けの精密機械」に過ぎず、知覚とは外の世界の情報を脳が処理する受動的な反応に矮小化されていたのです。
メルロ=ポンティは、このアプローチに対して根源的な異議を申し立てました。彼によれば、客観的な観察対象としての身体(生理学的な肉体)と、私たちが内側から現に生きている身体の間には決定的な断絶が存在します。エドムント・フッサールが提唱した「事象そのものへ立ち返れ」という現象学の手法を受け継ぎつつも、フッサールが意識の純粋な領域へと向かったのに対し、メルロ=ポンティは「生きられた身体」の生々しい経験へと降り立ちました。
私たちは、まず頭の中で論理的に世界を認識してから手足を動かしているのではありません。身体そのものがすでに世界へと開かれ、環境との絶え間ないやり取りを通じて意味を掴み取っています。この「知覚の優位性」を打ち立てたことこそが、知性至上主義に揺さぶりをかけた知覚の革命でした。