信長の最期に関する基本文献とされるのが、元家臣・太田牛一が記した『信長公記』だ。同書によれば、信長は弓や槍を手に取って自ら敵兵と激しく交戦したものの、肘に槍傷を負って殿中へ退却。その後、納戸に入って内側から戸を閉め、潔く切腹したと記されている。
このとき、信長の命を受けて殿舎に火を放ち、遺体が敵の手に渡るのを防いだとされるのが小姓の森蘭丸だ。蘭丸をはじめとするわずか数十名の近習たちは、圧倒的な明智軍を前に命を捨てて時間を稼ぎ、主君の尊厳を守るために炎を燃え広げさせたという。しかし、『信長公記』の筆者である牛一自身はその場におらず、生き残った女房衆からの聞き取りに基づいている。主君を英雄視する意図が働いた可能性は高く、軍記物特有の美化が含まれているとの見解も根強い。