鶴竜が独立を果たした背景には、恩義ある陸奥部屋の動向と師匠・陸奥親方(元大関・霧島)の定年という大きな転換期がありました。入門時の師匠である元関脇・逆鉾(井筒親方)の急逝に伴い、鶴竜は同じ時津風一門の陸奥部屋へと移籍。そこで温かく迎え入れられた経験が、親方としての将来像を決定づけました。
陸奥親方の定年退職(2026年春)を前に、部屋の看板力士たちや弟子の将来をいかに守るかが角界内外で注目されていました。鶴竜は一代年寄の期限を待たず、由緒ある名跡「音羽山」を取得・襲名。陸奥部屋に所属していた弟子や大関・霧島らを受け入れる受け皿を整え、実質的に伝統の系譜を継ぐ形で独立を果たしました。この電撃的な分家独立は、弟子たちの環境変化を最小限に抑えつつ、一門の絆を守り抜いた英断として高く評価されています。