悲劇が起きたのは、巨人の若き主砲としてキャリアの絶頂期を迎えていた1988年7月6日、札幌円山球場で行われた中日ドラゴンズ戦でした。この試合の8回表に通算100号本塁打を放った吉村氏は、その直後の8回裏の守備で左翼フェンス際へ上がった飛球を追いました。
捕球の瞬間、同じく打球を追って突っ込んできた中堅手の栄村忠広選手と猛スピードで激突。吉村氏は左膝に全体重がかかる形で倒れ込み、グラウンド上で悶絶しました。診断の結果は、左膝の4本ある靭帯のうち前十字・後十字・内側側副靭帯の3本が完全断裂し、神経も損傷するという、通常なら歩行すら困難とされる壊滅的な重傷でした。
当時、一部メディアやファンから激突相手の栄村氏へ厳しい非難が向けられる事態となりましたが、吉村氏は一切相手を責めることはありませんでした。「お互いに全力で打球を追った結果であり、誰のせいでもない」と公言し、栄村氏を気遣い続けた姿勢は、吉村氏の誠実な人間性を物語る象徴的なエピソードとして今も語り継がれています。