Q1:特攻兵器による攻撃で米軍の戦局が変わる可能性はあったのですか?
A1:軍事史的な観点から、戦局を逆転させる可能性は皆無でした。米軍の生産力、レーダー網、近接信管(VT信管)の配備速度は圧倒的であり、特攻兵器の突入成功率は終盤に向かうほど低下しました。戦略的には終戦を遅らせ、日本本土への空襲や沖縄戦による被害を拡大させる結果となりました。
Q2:特攻作戦において搭乗員の生還・帰還は完全に禁じられていたのですか?
A2:建前上は「機体トラブルや標的未発見の場合は帰還して再出撃せよ」とされていましたが、実際に帰還した搭乗員は司令部から激しい叱責や拷問に近い扱いを受けることが珍しくありませんでした。一部の基地では帰還兵を隔離する収容施設が設けられるなど、心理的に生還を許さない過酷な環境が敷かれていました。
Q3:なぜ陸軍と海軍で別々に似たような特攻兵器を作っていたのですか?
A3:当時の日本陸軍と海軍は深刻な対立関係にあり、情報共有や兵器開発の統合がほとんど行われていませんでした。海軍が「震洋」を作れば陸軍は「マルレ」を開発し、海軍の「桜花」に対抗して陸軍が「キ115 剣」を試作するなど、国家の存亡がかかった極限状態においても非効率な二重投資が続けられていました。