1951年9月、サンフランシスコのオペラハウスに48カ国の代表が集まった。しかし、そこには最大の当事者であるはずの中国の姿はなかった。当時、中国大陸を掌握したばかりの中華人民共和国(共産党政権)と、台湾に逃れた中華民国(国民党政権)のどちらを正統な政府とするか、招請国である米国と英国の意見が対立したためだ。
結果として、中国不在のまま結ばれた条約は、戦後処理に決定的な「トゲ」を残すことになった。北京の指導部は当時から「この条約は不法であり、無効である」と宣言。この主張は、70年以上が経過した2026年の現在も、中国の対外強硬姿勢を支える法的な拠り所として機能している。