先生が遺書で克明に告白したのは、自らが最も軽蔑していた「嘘つきで卑劣な大人」に、自分自身が成り果ててしまった絶望のプロセスでした。
故郷の叔父に裏切られた経験から、「自分だけは清廉潔白な人間だ」と信じ込んでいた先生は、Kから「お嬢さんが好きだ」と告白されたことで激しい恐慌状態に陥ります。Kは学問的才能も精神力も自分より遥かに勝っており、正攻法で競い合えば確実に敗北するという恐怖に苛まれたのです。
先生はKを精神的に叩き潰すため、かつてK自身が口にしていた厳格な戒律の言葉を逆手に取り、冷酷な一撃を浴びせます。
「精神的に向上心のないものは、ばかだ」
この言葉でKの退路を断ち、道義的葛藤で身動きが取れなくなっている隙を見計らって、先生はKに一切知らせることなく、下宿の奥さんに「お嬢さんを妻にください」と直談判しました。奥さんはその申し出を快諾し、外堀は完全に埋められます。
数日後、奥さんから先生とお嬢さんの婚約を知らされたKは、動揺を見せることもなく、ただ一言「おめでとう」と静かに微笑みました。先生はその超然とした態度に底知れぬ恐怖と後ろめたさを覚えつつも、自らの勝利に安堵したのです。しかしそのわずか数日後、Kは自室で頸動脈を切って命を絶ちました。