江戸の庶民は、あらゆる事物を大相撲の番付表に見立ててランキング化することを楽しんでいました。その対象は温泉や名所、料理屋にとどまらず、街で見かける女性たちにまで及んでいました。
当時の瓦版や摺物(すりもの)には、「美女番付」「看板娘番付」といったタイトルで、東の大関、西の大関のように各地の美女が序列化されて掲載されました。吉原の格式高い花魁(おいらん)から、深川の辰巳芸者、水茶屋の給仕娘に至るまで、実名や店名入りでランク付けされていたのです。
これらは単なるゴシップ記事にとどまらず、現代のグルメ・タウン情報誌のように「どの店に行けば誰に会えるか」という実用的なガイドブックの役割も果たしていました。町民たちが主体となって流行を盛り上げる、オープンで活力に満ちたメディア空間が形成されていました。