1985年8月12日、520名の尊い命が失われた日本航空123便墜落事故。アフリカからの帰国を許された小栗氏が命じられたのは、遺族対応の最前線というあまりにも過酷な部署だった。遺体安置所となった群馬県藤岡市の体育館で、言葉を失う家族たちの悲痛な叫びを真正面から受け止めた。
経営陣が保身と責任回避に走る中、小栗氏は身を粉にして遺族の支援に奔走した。「会社が犯した最大の罪を、私たちは生涯背負い続けなければならない」。その手記に遺された言葉は、事故から40年余りが経過した現在でも、安全運行の原点として重い響きを持っている。彼の真摯な姿勢だけが、怒りに震える遺族たちの心をわずかに和らげたのだった。