天然理心流は、寛政元年(1789年)頃に近藤内蔵之助(こんどう くらのすけ)によって創始されました。鹿島・香取の正統な武術の流れを汲みながら、二代目の近藤三助を経て、三代目・近藤周助が江戸・牛込(現在の東京都新宿区市谷甲良町)に道場「試衛館」を構えたことで大きく発展します。
しかし、この流派の基盤を真に強固なものにしたのは、江戸市中ではなく日野・多摩の歴史と風土でした。幕末の多摩地域は幕府直轄領(天領)が多く、治安部隊としての武士が常駐していませんでした。さらに天保の飢饉以降、無宿人や博徒が横行し、豪農や名主層は自らの手で村や財産を守る自衛の必要性に迫られていたのです。
日野の名主であった佐藤彦五郎や小野路の小島鹿之助らは、近藤周助や若き四代目・近藤勇を出稽古に招き、自宅の庭や道場で稽古に励みました。ここで培われたのは、単なる師弟関係を超えた強固な地域共同体の絆です。後に副長となる土方歳三も日野の佐藤家を通じて天然理心流に入門し、試衛館の食客たちとともに汗を流しました。
試衛館は裕福な武家道場とは異なり、近藤勇や土方歳三、沖田総司、井上源三郎らが一つ屋根の下で貧しい飯を食い合いながら技を磨いた「梁山泊」でした。この濃密な人間関係と共通の身体操法が、後の新選組における鉄の結束力の原動力となったのです。