羽田内閣はなぜ64日で崩壊したのか?社会党離脱の真相と激動の政治史

羽田内閣はなぜ64日で崩壊したのか?社会党離脱の真相と激動の政治史

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1994年(平成6年)春、日本の永田町は戦後最大の地殻変動の渦中にありました。前年夏に38年間続いた自民党単独政権(55年体制)を終わらせた細川護煕連立政権が、佐川急便グループからの借入金問題や連立内の主導権争いによって突如退陣を表明。その後継として白羽の矢が立ったのが、新生党党首であった羽田孜(はた・つとむ)でした。

1994年4月25日、羽田氏は衆参両院の本会議で第80代内閣総理大臣に選出され、4月28日に親任式を経て羽田内閣が正式に発足します。しかし、この政権の命脈は極めて短いものでした。同年6月25日に羽田首相が退陣を表明し、6月30日に内閣総辞職。その在任期間はわずか64日間にとどまりました。

大日本帝国憲法下の東久邇宮稔彦王内閣(54日間)を除けば、日本国憲法下において歴代最短の在任記録です。石橋湛山内閣(65日間)や宇野宗佑内閣(69日間)を下回る超短命政権となった背景には、単なる政策の対立を超えた凄まじい権力闘争が存在していました。

橋本 菜々子
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橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。