多くの読者が最も興味を惹かれるのが、「聖海上人はなぜそれほどまでに感動し、涙まで流してしまったのか」という点です。当時の常識や宗教的な文脈を踏まえると、上人の心理がより鮮明に見えてきます。
神社に置かれる獅子・狛犬は、通常は神前を守るために正面、あるいはお互いに内側を向いて対になっています。しかし、この出雲神社では獅子と狛犬が互いに外側を向いて背中を合わせる形になっていました。
聖海上人は名のある僧侶であり、日頃から仏教や神道の教義、儀礼における「隠された意味(深きゆゑ)」を探求する知性派を自任していました。だからこそ、異様な配置を目にした瞬間、「これは単なる配置ミスではなく、一般人には計り知れない希有の霊異(神仏の特別な奇跡・神秘の教え)に違いない」と都合よく解釈してしまったのです。
自らの高い教養によって「隠された真理に最初に気づいた」と陶酔した上人は、信心深さも相まって感情が高ぶり、涙をこぼすに至りました。同行者たちに対して「これほどの奇跡を見逃すとは何事か」と得意げに説教したのも、自分の発見を誇示したかった心理の表れです。
しかし、真相は「いたずら好きな近所の子どもが向きを変えて遊んだだけ」でした。神官があっさりと元の位置に据え直して立ち去る姿は、上人の気取った高揚感を一瞬で粉砕します。この張り詰めた感動と身も蓋もない現実のギャップこそが、本段の最大のハイライトです。