長女が学齢期を迎えると、次に直面したのが日本の教育システムにおける分断という壁だった。地域の子どもたちと一緒に学び、育ってほしいという願いを持ちながらも、当時の学校現場には受け入れ体制の不備や、一律の基準による線引きが根強く残っていた。
特別支援学校か、普通学級か。その選択肢の狭さと周囲の無理解に直面した体験は、彼女の中に強い問題意識を植え付けた。「なぜ身体的なハンディキャップがあるだけで、学びの場を制限されなければならないのか」。この実体験に基づく悔しさと問いかけが、後の彼女の活動を推進する強力な原動力となったのである。