日本国内でトップスターの座を固めつつあった1990年代半ば、加藤雅也は周囲を驚かせる大胆な決断を下します。日本での安定したキャリアを一時休止し、単身でアメリカ・ロサンゼルスへ渡るという挑戦でした。
当時のハリウッドでは、日本人俳優に対するステレオタイプな役柄が多く、現地でのオーディション突破は困難を極めました。そこで加藤は、語学学校やアクターズスクールに通い詰め、ネイティブと対等に渡り合える高度な英語力と発音を徹底的に習得します。そのストイックな留学・生活期間を経て、全米映画俳優組合(SAG)のメンバー入りを果たしました。
その努力は実を結び、大作映画『GODZILLA』(1998年)や『クライング・フリーマン』、そして北野武監督の日米合作映画『BROTHER』(2001年)などで強烈な爪痕を残すことになります。国際舞台で培ったタフな精神力とグローバルな視野は、彼の役者としての深みを格段に引き上げました。