敏治氏を語る上で避けて通れないのが、かつて名古屋の繁華街でホストクラブなどを経営していたという経歴だ。この過去は、真央が世界的なスターへと駆け上がる過程で、一部の週刊誌によってセンセーショナルに報じられた。スポーツ選手の親としての「品格」を問うような心ないバッシングもあったが、敏治氏は一貫して沈黙を守り続けた。
しかし、彼を知る人物は「彼はただ、娘たちの莫大な遠征費やレッスン代を稼ぐために必死だっただけだ」と代弁する。フィギュアスケートは年間で数百万円から一千万円単位の費用がかかる過酷な競技だ。母親の匡子さんが技術面や生活面で娘たちを徹底的にサポートする一方、敏治氏はその莫大な資金を工面する影の立役者だった。その手段がどうあれ、娘たちの夢を支え続けた父親としての覚悟は本物だったと言えるだろう。