では、なぜ韓国の人々はこれほどまでに日本の受賞動向を過剰なほど意識し、自虐に陥るのでしょうか。ソウル市内の主要国立大学(ソウル大学、KAIST)に所属する現役の研究者や大学院生の証言、そして現地メディアの現場取材からは、制度疲弊と焦燥感に満ちた生々しい実態が浮かび上がってきます。
KAIST(韓国科学技術院)で材料工学を専攻する若手研究員は、現地の学術誌インタビューで次のように本音を漏らしています。
「ニュースでは『今年こそ韓国ノーベル賞候補者が出るか』とクラリベイト・アナリティクスの引用栄誉賞データベースを引用して煽り立てる。しかし、研究室の実態は『3年以内に特許化・商用化できるか』という短期指標に追われ、失敗が許されない。日本のノーベル賞受賞者が口を揃えて言う『好きなことを40年やり続けた結果』という境遇は、今の韓国のアカデミアでは失業を意味します」
また、韓国社会におけるノーベル賞への執着心は、独特の「圧縮経済成長のトラウマ」と深く結びついています。朝鮮戦争後の廃墟からわずか半世紀で「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を遂げ、半導体やスマートフォン、造船、K-POPといった分野で世界トップクラスに躍り出た韓国にとって、唯一手の届かない「先進国の絶対的証明」こそが自然科学分野のノーベル賞なのです。
2026年に作家ハン・ガン氏の受賞が決まった際、ハン・ガンノーベル文学賞に対する韓国の反応は「国家的な慶事」として爆発的な熱狂を生み出しました。ソウル市内の大型書店「教保文庫」では数日で100万部を超える特需が発生し、「ついに韓国の文化的成熟が世界に認められた」と歓喜しました。しかしその一方で、理工系の学会や経済界からは「文学賞の快挙は素晴らしいが、国家の未来を支える素材・基礎科学技術の空洞化に対する解答にはなっていない」という冷静な指摘が即座に浮上した背景には、こうした根深い産業的危機感が存在します。