横須賀・観音崎に佇む駆逐艦村雨の碑|激戦の記憶と慰霊の現在地

横須賀・観音崎に佇む駆逐艦村雨の碑|激戦の記憶と慰霊の現在地

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白露型駆逐艦の3番艦として世に出た村雨は、基準排水量1,685トン、61cm四連装魚雷発射管2基を備えた当時の第一線新鋭駆逐艦でした。姉妹艦である「夕立」「春雨」「五月雨」とともに第2駆逐隊を編成し、太平洋戦争開戦とともにフィリピン攻略戦、スラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦と各地を転戦します。 村雨の運命が急転したのは、日米が消耗戦を繰り広げた1942年後半のガダルカナル島を巡る戦いでした。第4水雷戦隊の旗艦を務めるなど数々の夜戦や「鼠輸送(ドラム缶補給作戦)」に従事し、第三次ソロモン海戦では米巡洋艦隊と至近距離で交戦。大破炎上しながらも戦い抜いた僚艦の夕立をはじめ、多くの仲間を失いながら戦線に踏みとどまり続けました。 沈没の瞬間が訪れたのは、1943年(昭和18年)3月5日深夜から6日未明にかけて展開された「ビラ・スタンモーア夜戦(連合軍呼称:ブラックスケット海峡夜戦)」でした。村雨は駆逐艦「峯雲」とともに、ニュージョージア島コロンバンガラ島のビラ飛行場への物資輸送任務を無事完了し、帰途についていました。 しかし、待機していた米海軍第68任務部隊(巡洋艦3隻、駆逐艦3隻)は、黎明期の新兵器であったSG対水上レーダーを駆使して暗闇の中に村雨と峯雲を捉えていました。不意を突かれた村雨は、レーダー連動の猛烈な集中砲火と魚雷攻撃を受けます。当時の生存者手記によると、瞬く間に艦橋や機関部を破壊され、火災と爆発の中、艦長の種子島洋二中佐以下、必死のダメージコントロールを試みるも及ばず、わずか十数分の交戦で漆黒のビラ湾へと姿を消しました。128名以上の尊い命が露と消えた、壮絶極まる最期でした。

中島 亮太
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中島 亮太

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