日本の歴史において、最も多くの御落胤伝説を残した人物の筆頭が徳川家康です。家康には公式に認知された11男5女のほかにも、複数の落胤が存在したと伝えられています。
代表的な人物が、江戸幕府で大老として絶大な権力を誇った土井利勝です。利勝は家康の側近・土井利昌の養子として育ちましたが、容貌が家康に酷似していたことや、異例のスピード出世、家康からの格別の寵愛ぶりから、当時から家康の実子(御落胤)ではないかと囁かれていました。また、結城家を継いだ次男の結城秀康も、幼少期は母の身分の低さから家康に対面を拒まれ、落胤同様の扱いを受けていた時期があります。
一方、豊臣秀吉にまつわる御落胤説は、自らの権威付けのために利用された側面が強いのが特徴です。身分の低い出自から天下人へと登りつめた秀吉は、関白就任の正当性を担保するため、「自分は後奈良天皇のご落胤である」というプロパガンダを流布させました。公家の日記等にもこの噂が記録されていますが、後世の歴史研究では権威付けのための創作である可能性が極めて高いと結論付けられています。