朝永を語る上で欠かせないのが、京都帝国大学の同級生であり、日本初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹の存在だ。「剛の湯川、柔の朝永」としばしば対比された二人は、生涯にわたり互いを深く意識し合う盟友であり、最大の好敵手だった。
情熱的で直感的な跳躍を好んだ湯川に対し、朝永の思考はどこまでも緻密で論理的だった。自らの直感を疑い、数学的な破綻がないかを徹底的に検証する粘り強さこそが朝永の真骨頂である。1965年、ノーベル財団が彼にノーベル物理学賞を授与した際、選考委員会を最も驚かせたのは、過酷な戦時下の日本で彼が打ち立てた概念的アプローチの圧倒的な美しさと完全性だった。
派手な自己主張を嫌い、受賞の知らせを聞いた際も「物理学の世界にはもっと受賞にふさわしい人間がいる」と周囲に漏らしたという。この謙虚な科学者の実像は、数々の人物評伝を通じていま再発見され、共感を呼んでいる。