橋本氏の経歴を語る上で避けて通れないのが、古巣である山健組との複雑な関係性である。かつて山健組の屋台骨を支えながらも、直参昇格を経て本流から距離を置くこととなった経緯は、後の神戸山口組分裂劇においても影を落とし続けた。かつての兄弟分や後輩たちと銃火を交えかねない緊張状態の中で、橋本氏は常に極度のプレッシャーと対峙していた。
表層的な武闘派のイメージとは裏腹に、素顔の橋本氏は極めて計算高いリアリストでもあった。経済動向を冷徹に見極め、シノギの多角化を進める知性派の一面を持ち合わせていた。ある金融関係者は「数字の把握と人の心理を読む能力は一流の経営者そのものだった」と振り返る。人望と恐怖、合理性と情義。相反する要素を併せ持っていたからこそ、複雑に絡み合う抗争の渦中にあっても独自の存在感を維持し続けることができた。