王騎が他国から「秦の怪鳥」と恐れられた理由は、個人の圧倒的な武力にとどまらず、神出鬼没の戦術眼と戦場全体を支配する卓越した指揮統率力にありました。
かつて秦国が中華全土を震撼させた「旧・六大将軍(白起・王騎・摎・司馬錯・胡傷・王齕)」の生き残りとして、昭王とともに無数の戦場を駆け巡った経歴を持ちます。昭王に対して絶対的な忠誠心と深い情愛を抱いており、昭王亡き後は「仕えるに足る王がいない」として前線を退き、自領で静かに隠居生活を送っていました。
王騎の強さの本質は、戦場を鳥瞰する知略と、自軍の士気を限界以上に引き上げるカリスマ性です。蛇甘平原の戦いにおいて、圧倒的劣勢に喘ぐ秦軍の前に突如として姿を現し、丘の上から戦局を一変させた場面は、まさに怪鳥の名にふさわしい采配でした。後に信へ伝えた「将軍とは、百将や千人将と同じく命を懸ける肉の塊でありながら、その両眼には数万の軍勢の命と国の命運が映っている」という「将軍の見る景色」の教えは、作中屈指の名講義として語り継がれています。