徳川家康が75歳まで生きた食事の秘密!麦飯と天ぷら死因の真相

徳川家康が75歳まで生きた食事の秘密!麦飯と天ぷら死因の真相

徳川家康が75歳まで生きた食事の秘密!麦飯と天ぷら死因の真相の全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。

徳川家康の最期について、長年まことしやかに語られてきたのが「鯛の天ぷら中毒死説」です。元和2年(1616年)1月、駿河国田中城に滞在していた家康は、茶屋四郎次郎の勧めで当時京都で流行していた「鯛を胡麻油で揚げ、すりおろした水仙の根を添えた料理」を食べ、その夜に腹痛を発症しました。

しかし、歴史的事実を検証すると、家康が息を引き取ったのはそれから約3ヶ月後の元和2年4月17日です。もし急性食中毒や揚げ油による消化不良であれば、数日から1週間程度で回復するか、あるいは急激に悪化して命を落とすはずであり、3ヶ月ものタイムラグは医学的に説明がつきません。

幕府の公式記録『徳川実紀』などを精査すると、晩年の家康は著しい体重減少に苦しみ、腹部に手で触れてはっきりと分かるほどの「しこり」が存在していました。当時の医師はこれを「寸白(すんばく=寄生虫)」と診断して下剤を処方しましたが、病勢は好転しませんでした。

現代の病理・法医学的な見解では、真の死因は「胃がん(末期の進行がん)」であったというのが定説です。天ぷらを食べたことによる一時的な胃もたれや腹痛が、すでに進行していた胃がんの症状を表面化させる契機になったに過ぎず、天ぷら自体が直接の毒となったわけではありません。

松本 悠斗
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松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。