日本航空123便がコントロールを失った根本的な原因は、航空事故調査委員会による綿密な調査の結果、科学的に解明されています。
直接の引き金となったのは、事故から7年前の1978年6月に同機が大阪・伊丹空港で起こした「しりもち着陸事故」にあります。この際、製造元である米ボーイング社が行った後部圧力隔壁の修理作業において重大なミスが発生していました。本来2列必要なリベット結合プレートが1列分切断された状態で施工されたため、強度が設計基準の7割程度に低下していたのです。
飛行を重ねるごとに金属疲労が蓄積し、運命の飛行中、相模湾上空を巡航高度へ上昇していた18時24分、圧力隔壁が破裂。客室内の高圧空気が機体尾部へ噴出し、垂直尾翼の大半を吹き飛ばすとともに、機体制御に不可欠な油圧システム(4系統すべてのハイドロリック)を全損させました。油圧を失った機体は「フゴイド運動」と「ダッチロール」を繰り返し、クルーの懸命なエンジン操作による格闘も限界を迎え、墜落に至ったのが事故の真相です。