激務を重ねた小村寿太郎は、関税自主権回復の同年に起きた脳疾患により、1911年11月、56歳の若さで神奈川県葉山にて息を引き取りました。国家の命運を一身に背負い続けた、壮烈な生涯でした。
小村の外交官スピリットは子孫へも受け継がれています。長男の小村欣一も外交官として活躍し、外務省情報部長や拓務次官などを歴任しました。現在も小村家の血筋は続いており、外交や国際関係の分野をはじめ多方面で社会に貢献しています。
歴史的評価において、小村寿太郎は「国民受けする派手な勝利」ではなく「現実的な国益」を冷徹に選択できた稀代のリアリストとして位置づけられています。熱狂する世論に流されることなく、国家の限界を見極めて実利を最大化させた小村の外交手腕は、複雑化する国際情勢に直面する現代においても、最も学ぶべき教訓として高く評価されています。