そもそも、ABCD包囲網が敷かれた理由は何だったのでしょうか。その直接的な根源は、1937年に勃発した日中戦争の長期化と、資源獲得を目指した日本の南方進出にありました。
長期化する戦況を打開するため、日本は蒋介石政権への欧米からの補給ルート(援蒋ルート)を断つとともに、軍需物資を確保する目的でフランス領インドシナ(現在のベトナム周辺)への進出を図ります。1940年の北部仏印進駐に続き、1941年7月には南部仏印進駐を強行しました。
この強硬策は、アメリカやイギリスにとって極めて深刻な脅威と受け止められました。南部仏印は、英領マレーやシンガポール、米領フィリピン、蘭印の油田地帯に目と鼻の先の戦略拠点だったからです。
対日経済制裁の歴史を振り返ると、アメリカは段階的に圧力を強めていました。1939年の日米通商航海条約の破棄通告に始まり、航空機用ガソリンや屑鉄の対日輸出制限を実施。そして南部仏印進駐の強行を受けた1941年7月下旬、ルーズベルト政権は在米日本資産の凍結という強硬措置に踏み切ったのです。