1970年代後半、シュガー・ベイブ解散後の山下達郎はソロアーティストとして高い音楽的評価を得ていたものの、レコードセールスという商業的な数字においては厳しい局面に立たされていました。前作にあたる3作目『GO AHEAD!』(1978年)のリリース時、所属レコード会社からは「次が売れなければ契約終了」という最後通告に近いプレッシャーを受けていたと、本人が各種インタビューやライナーノーツで明かしています。
しかし、思わぬ転機が訪れます。『GO AHEAD!』に収録されていたファンク・ナンバー「BOMBER」が、大阪のディスコを中心にアンダーグラウンドで爆発的なヒットを記録したのです。シングルB面だった同曲のクラブヒットを受け、レコード会社側は方針を転換。山下達郎に対して「ディスコやブラックミュージックのグルーヴを前面に押し出したアルバムを作ってほしい」と本格的な制作予算とスタジオワークの自由を与えました。
こうして与えられたラストチャンスに対し、山下達郎は自らの音楽的アイデンティティであるドゥーワップ、フィラデルフィア・ソウル、ディスコ、ジャズのエッセンスを一切妥協することなく注ぎ込みました。背水の陣の中で妥協を排し、構築美の極致を追求した結果として結実したのが、通算4作目のアルバム『MOONGLOW』でした。