事故の引き金は、本番の墜落から7年前の1978年6月2日、大阪・伊丹空港で起きた。日航123便(当時JA8119号機)が着陸時に機首を上げすぎ、尻部を滑走路に接触させる「しりもち事故」を起こしたのだ。この事故で機体後部の圧力隔壁が破損。修理を担当したのは製造元である米ボーイング社であった。
通常、損壊した圧力隔壁の板を接合する際には、強度を維持するために一枚の連続したスプライス・プレート(補強用接続板)を挟み込んでリベット留めしなければならない。だが、作業にあたったボーイングの技術者は、プレートを2枚に切り分け、中央部で重なり合わない不適切な工法を採用してしまう。これにより、リベットの1列には本来かかるべき強度の3分の1程度しか負荷を分散できない致命的な施工不良が生じた。
この修理ミスにより、機体内の与圧と外気の気圧差による金属疲労が急速に進行。本来なら数万回のフライトに耐えるはずだった隔壁は、わずか1万2,300回の飛行で限度を迎えることとなった。目視検査で見逃され続けた髪の毛一本ほどの小さな亀裂が、あの夏の夕空で決定的な崩壊を引き起こす直前まで刻一刻と広がっていたのだ。