大田区糀谷や大森エリアは、かつて上質な江戸前海苔の産地として知られていた。塩風が吹き抜ける海岸近くで育った青年期の彼は、結核という当時死に至る病と闘いながら、極貧の戦後社会を生き抜いていた。実家の海苔事業は戦時中の統制や東京大空襲によって大打撃を受け、一家は経済的な苦境のどん底に喘いでいた。
この過酷な原体験が、後の平和運動や社会活動への強い原動力となったことは間違いない。病弱な身でありながら、恩師である第2代会長の戸田城聖氏と出会い、その事業と思想を二人三脚で支え抜いた時期こそ、彼の人生における決定的な転換点となった。泥臭い下町の庶民生活で培われた感覚は、後に何百万もの人々の心を掴む独自の言葉と言説の基盤となったのである。