ラグビーを辞めた彼が次に出会ったのが、パンクロック、そしてディスコカルチャーだった。1980年代初頭、新宿の伝説的ディスコ「新宿ニュージャパン」などでDJとしてのキャリアをスタートさせる。当時のDJは、今のように華やかなスターではない。レコードを回し、フロアの空気を読む職人仕事だった。
「当時はとにかく必死だった」と、彼は後年のインタビューで振り返っている。まだ「DJ」という職業が世間に認知されていない時代。暗いフロアの中で、彼はただひたすらに自分の感性を研ぎ澄ませていた。この下積み時代が、彼の卓越した現場感覚と、どんな状況でもフロアを盛り上げるプロ根性を養ったのだ。