読谷村やちむんの里の歩き方|名工房と登り窯・陶器市2026解剖

読谷村やちむんの里の歩き方|名工房と登り窯・陶器市2026解剖

読谷村やちむんの里の歩き方|名工房と登り窯・陶器市2026解剖の見逃せないポイントを一挙に解説しました。

沖縄の焼き物の歴史は数百年に及びますが、現在の読谷村における集落の礎が築かれたのは1970年代から1980年代初頭にかけてのことです。当時、那覇市の中心部に位置していた壺屋地区では、急速な都市化に伴い登り窯から出る煙が公害問題として激しい議論を呼び、薪窯の使用が制限される事態に直面しました。

「土を掘り、薪を割り、火を焚くという本来の手仕事を失っては、本物の沖縄の器は生まれない」――そうした職人たちの強い危機感を受け、1972年に人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定された金城次郎氏が、読谷村の座喜味城跡近くの米軍飛行場跡地へいち早く工房を移転。これに呼応するように、大嶺實清氏、山田真萬氏、玉元輝政氏、稲嶺盛吉氏ら志を同じくする陶工たちが移り住み、1980年に「読谷山焼(よみたんざんやき)」として共同窯を開いたのが、現在のやちむんの里の始まりです。

金城次郎氏が得意としたユーモラスで力強い「魚紋」や「海老紋」の線彫りは、まさに沖縄の海と大地のエネルギーをそのまま土に刻み込んだ民藝の精華でした。柳宗悦らが提唱した「民藝運動」の理念――無名の職人が生み出す実用性と健康な美「用の美」は、この読谷の赤土とガジュマルの木陰の中で純度高く受け継がれ、今なお村全体の作陶哲学として深く根付いています。

山本 拓海
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山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。