なぜ中大兄皇子と中臣鎌足は、白昼堂々の暗殺という強硬手段に出る必要があったのでしょうか。その背景には、国内の権力集中と緊迫した東アジア情勢という2大要因が存在していました。
当時、聖徳太子(厩戸皇子)の死後、蘇我蝦夷・入鹿の親子は天皇をしのぐほどの絶大な権力を握っていました。入鹿は自らの邸宅を「宮門(みかど)」と呼ばせ、自分の子どもを「皇子」と呼ばせるなど、専横を極めていました。さらに、有力な皇位継承候補であった山背大兄王(やましろのおおえのおう:聖徳太子の子)一族を滅ぼすという暴挙に出ます。こうした蘇我氏の独裁に対する危機感が、皇族や他氏族の間で急速に高まっていました。
さらに国外に目を向けると、強大な帝国である「唐(中国)」が東アジア一帯に勢力を拡大し、朝鮮半島の高句麗や百済への圧力を強めていました。このまま豪族たちが私利私欲で争っていては、日本が唐の脅威に対抗することはできません。「豪族中心の古い政治を打ち破り、天皇を中心とした強力な中央集権国家を急いで構築しなければならない」という強い国家存亡の危機感こそが、中大兄皇子らを暗殺計画へと突き動かした最大の動機でした。