伊達家を語る上で欠かせないのが、四国・伊予に拠点を置いたもう一つの名門、宇和島藩伊達家との違いです。同じ伊達の家名を名乗りながらも、両家は歴史上、極めて対照的な歩みをたどりました。
宇和島藩の祖となったのは、政宗の長男(庶長子)である伊達秀宗です。秀宗は豊臣秀吉の人質として育ち、一時は伊達家の嫡男とされていましたが、正室・愛姫に次男の忠宗が生まれたことや大坂の陣後の論功行賞により、慶長19年(1614年)、家康から伊予宇和島10万石を与えられて別家を立てました。
血統上は秀宗こそが政宗の長男の系統でありながら、本家(仙台藩)と分家(宇和島藩)という格式のねじれが生じたため、江戸初期には両家の間に少なからず緊張関係が存在しました。しかし、宇和島藩は幕末に大きく脚光を浴びることになります。8代藩主・伊達宗城は「幕末の四賢侯」の一人として国政をリードし、西郷隆盛や勝海舟らと渡り合いながら明治維新の立役者となりました。本家である仙台藩が幕末に旧幕府側として苦汁を舐めたのに対し、分家の宇和島藩が新政府側の中枢を担ったという構図は、歴史の皮肉を感じさせる重要なポイントです。