戦後間もない1950年、滝沢修や宇野重吉らと共に「劇団民藝」の結成に参加したことから、彼女の本格的な演劇人生は加速した。日本の新劇運動が熱を帯びるなか、客席を息をのませる圧倒的なセリフ回しと鋭い人間観察眼で、劇団の絶対的柱として君臨。舞台『ドライビング・Miss・デイジー』や『黄昏』など、年を重ねるごとに味わいを増す名演は、演劇界の語り草だ。
特に劇団の創設者であり師と仰ぐ宇野重吉との信頼関係は深く、切磋琢磨しながら日本の演劇表現を底上げした。舞台に立つことへのストイックな姿勢は、生涯揺らぐことがなかった。