明治・大正・昭和の激動期を生き抜いた女性の一代記『おしん』において、物語の最大の山場を担ったのが田中裕子演じる青年期のおしんです。彼女が劇中に初登場したのは第37話。髪結いの見習いとして東京へ出てきた16歳の瑞々しい少女時代から、結婚、戦争による夫や子どもとの死別、そして戦後の復興期に至る50歳前後の中年期(第225話まで)という、およそ35年におよぶ歳月を一人で演じ切りました。
驚くべきは、当時の田中裕子の実年齢です。1955年4月29日生まれの彼女は、1983年の撮影当時わずか27歳から28歳でした。明治大学文学部演劇学科を卒業後、名門劇団「文学座」で培った卓越した演技力を武器に、20代後半の若さでありながら、10代の純真さから白髪交じりの苦労を重ねた母親の表情まで、声のトーンや歩き方、目線の配り方を繊細に変化させて表現しました。
当時、朝ドラのヒロインといえば無名の新人女優の登竜門という位置づけが一般的でした。しかし、すでに映画『ええじゃないか』『北斎漫画』(ともに1981年)で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞し、実力派として高く評価されていた田中裕子がキャスティングされたこと自体が、NHKの並々ならぬ覚悟の表れであったと関係者は証言しています。