日本の貴族制度を理解するうえで不可欠なのが、「公家(くげ)」と「武家(ぶけ)」の違いです。公家とは、京都の朝廷において代々天皇に仕えてきた文官貴族を指します。一方、武家は鎌倉時代から江戸時代にかけて軍事力と領地支配によって実権を握っていた大名や旗本を指します。
明治維新によって江戸幕府が崩壊すると、新政府は身分制度の再編に着手しました。1869年(明治2年)の版籍奉還に伴い、それまで別系統だった公家と諸侯(大名)が統合され、新たに「華族」という単一の身分が誕生します。さらに1884年(明治17年)には「華族令」が公布され、イギリスやドイツの制度を模範とした五爵制度(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵)が確立されました。
この五爵制度における序列は、血統の古さと江戸時代の石高、明治維新への貢献度によって厳格に定められました。公家社会の頂点に君臨していた五摂家(一条・二条・九条・近衛・鷹司)や、それに次ぐ清華家(三条・西園寺・徳大寺・久我など)、さらには徳川宗家や薩長土肥の有力大名家には最高位の公爵・侯爵が授爵されました。
加えて、明治維新で功績を挙げた伊藤博文、大久保利通の遺族、山県有朋といった政治家・軍人たちも「勲功華族」として爵位を得ました。これにより、古代からの血統貴族(公家)、封建領主(大名)、近代国家の功労者(新華族)が混ざり合った、日本独自の貴族ネットワークが形成されたのです。